周東町ってどんなまち?

「うつろいゆく時のしじまに」
刻まれてきた年月の重み遥かな日々を偲ぶ

さかのぼること数千年の昔、周東町には人の居住がありました。用田遺跡は県下でも有数の縄文時代の遺跡です。縄文時代の初期から多くの人が生活していたと考えられています。

< 写真は北方古墳>

 十二世紀ごろには周東町域のほとんどは「玖珂荘」とよばれる荘園でした。後白河法皇が再興された二井寺は、この時期、防長屈指の霊場として政治向きの事件や合戦に大きな役割を果たしました。

 戦国時代に入ると、大内氏の支配下となり、高森は配下の椙杜し、玖珂は杉氏が領主となりました。天文二十年(1551)大内しは陶氏に滅ぼされ陶と毛利の対決は椙杜氏と杉氏の間に「鞍掛合戦」を引き起こし、毛利氏の支援を受けた椙杜氏が勝利しました。関が原の戦い以後も毛利氏によって治められていますが町域のほとんどが毛利氏の支藩として岩国を治めた吉川氏の所領となりました。近世の高森市は、本領がおかれた宿場町としてにぎわいました。

 幕末には倒幕軍の基地として、遊撃軍や維新団が駐屯していたことが知られています。    <写真は大梅山通化寺>

維新後、廃藩置県・大小区制・郡区町村編成法と相次ぐ近代化への模索の中で、明治二十一年(1888)、市制町村制が交付されました。県案道り、明治二十二年合併し、高森村・川越村・米川村・祖生村が成立しました。その後高森村は、明治三十六年(1903)北河内村から明見谷を編入、大正十三年(1924)八月一日町制を敷きました。<写真は高森本陣跡>

昭和二十八年(1953)の町村合併促進法の制定で、山口県にも多くの新市町村が生まれましたが、昭和三十年、この四ヵ町村の合併によって周東町が誕生、以来着実な歩みを続けています。



周東町商工会
山口県玖珂郡周東町中市
TEL:0827-84-0183
FAX:0827-84-0271
shuto@joho-yamaguchi.or.jp